りべるた合宿 2024年7月15~16日 於:奈良 フリースペースSAKIWAI 参加者12名
1日目午後、夜、2日目午前と長時間にわたって熱く語り合いました。
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<ログハウスシューレ性加害事件と不登校新聞の動き>
○まず最初に、今日は謝罪したいと思って来ました。
全国不登校新聞社は、ログハウスシューレ性暴力事件に関わりがあったにもかかわらず、何の見解も示さないまま法人を解散し、責任主体そのものが消えてしまいました。
私は4年前に理事を退任しましたが、みなさんのなかには不登校新聞を支えてきてくださった方も多いですし、不登校新聞の創刊当初から関わった者としてお詫びします。また、関わりのあったひとりとして、今後も、考え続けていくことが必要だと思っています。
東京シューレを中心とする不登校の運動は、この事件にかぎらず、不都合な面とちゃんと向き合わずに来たところがあるのではないでしょうか。関わりのあった人たちが、不都合な面を切り捨てずに考え合っていくことが大事だと思っています。
(山下耕平)
※(ここだけ記名なのは、特にその立場からの発言であること、またこの発言があった事実は重要であり、周知されるべきではないかと考えられるので、この様にさせて頂きました。)
○ログハウスシューレの性加害事件に対しての公的な謝罪も総括もないまま、奥地氏が講演会(東京・不登校&多様な学びを考える親の会/主催)の講師をすることについて、原告の方にとっては二次加害になると考え、抗議のメールを出したら、事務局の北澤という人から恫喝と思えるメールが来た。奥地氏たちはこのイベントに対する抗議を事実誤認の誹謗中傷だと決めつけてきた。この性加害事件の重大性や被害者への誠実な対応について全くわかっていないことが判る。
このメールには、さらに口外禁止を要求しているように受け取られる文面もあったが、強い恐怖を覚え不調になったので、合宿に参加したメンバーと共有した。「助けて」と声に出せてよかったし、声に出すことは大切だと改めて感じた。
◯多様な学び保障法を実現する会(2022年7月23日解散が議決された)の議事録には解散に至る経緯が記録されているが、p6 には【意見】として『(この会は)被害を受けた方をさらに傷つけながら実践研究フォーラムのような事業や活動をやっていくような団体であってはならないと思う』ということが述べられていた。
https://aejapan.org/wp/wp-content/uploads/gijiroku20220723.pdf
この意見を奥地氏はどのように受け止めていたのだろうか?
この議事録では、東京シューレのログハウス性暴力事件に対する奥地氏の認識のあり方を窺い知ることができる。そしてこの【意見】を奥地氏はどのように受け止め、現在活動するに当たって、どのような配慮を被害者の方にしているのか?
◯6月2日に奥地氏の講演会があると知り、5月31日に「東京・不登校&多様な学びを考える親の会 代表・奥地圭子」あてに、「奥地氏は講演会をやる前に、原告の方との真の和解をするべきだし、原告の方に心から謝罪をするべきだ」というような内容のメールを送ったところ、7月1日に「あなたのメールは私への誹謗中傷である。謝罪を求める。他人のイベントに口出し無用である」というような内容で、奥地氏の署名入りで返信が来た。
それで、奥地氏では話にならないと思い、会のスタッフ御一同様あてに、奥地氏を講演会に出すことは二次加害であることを知ってほしく、「シューレ理事会が掲載した記事と私が友人たちと調べたログハウスシューレに関する年表を見てほしい」とメールした。
すると今度は会の事務局の北澤氏から、「なんら根拠のない年表である。最初のメールは奥地氏に対する誹謗中傷であり、言葉の暴力による当会への“威力業務妨害”に当たると考える」と返信が届いた。
性加害に対する二次加害について、もっと真剣に考えてほしかったと思う。
※宮川正文さんが、このイベントについて書かれていましたのでご紹介します。
http://miyakawam.blog.fc2.com/blog-entry-1491.html?sp
○不登校新聞の過去の記事の中から「不登校50年証言プロジェクト」が消えている。これは非常に重要な登校拒否・不登校の歴史資料であり、親の会の財産とも言えるもの。
○二次加害を軽く見てはいけないので、看過しないことも大事だと思うが、本丸がどこにあるかと言えば、東京シューレの検証作業ではないか。被害者の声をきちんと聴いて検証することができていないことによって、二次加害が拡大しているように思う。
精神科医の宮地尚子は、『環状島=トラウマの地政学』で、トラウマにかかわる人の立ち位置を環状島(ドーナッツ状の島)にたとえて述べている(図がないとわかりにくいと思うので、関心のある方は「環状島」で画像検索を)。
被害当事者のトラウマは〈内海〉に沈んでいて、そのままでは言葉にはならない。尾根の内側の陸地に立つ人がいて、言葉になる。
しかし、そこに立ち続けることは難しく、〈外海〉に去ってしまう人も多い。そして〈外海〉にも言葉はない。
二次加害を起こさないようにすることは重要だが、二次加害をおそれるあまり、結果として周囲が沈黙してしまう状況を招いてしまうと、それはもっとも望ましくない事態ではないか。ていねいに言葉を交わし、過ちを犯したときは真摯に向き合い、考え合っていくことが大事だと思う。そのためには知識も必要で、たとえばジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』は読まれたほうがよい本だと思う。
○高知県でも石井しこう氏が 講師をする講演会があった 。肩書きは不登校新聞代表とチラシにあった。後に元不登校新聞社代表と修正された。
○加害があった頃 、不登校新聞は活動上、かなり関りがあったのは事実。加害者は当時、長野通信局と子ども編集部として多数の記事を担当した。
詳しくはこちら↓
https://maigopeople.blogspot.com/2024/03/blog-post.html
そして突然ログハウスシューレはプツンと閉鎖された。
〇もぐらの会のブログで掲載している「ログハウスシューレの年表 」を元に、事件について隠蔽があったのではないか?等話し合った 。東京シューレが出版した書籍や内容について疑問を感じる部分が あるという話をした。詳しくは先にあげた年表を参照していただき たい。間違いあれば教えてほしい。
〇教育機会確保法案が審議され反対運動が起きている時に、提訴がなされている。タイミング的には法案が二転三転している動きの中で、法案の根拠となるフリースクールで起こった性暴力事件のことは決して知られてはならない時期だったのではないか。このことは、事件の隠蔽に影響しているのではないか?
○総括は未だ出されていない 。原告の方の意向を汲んで、きちんと出すべきではないか。
○「不登校 50年証言プロジェクト」の権利は 株式会社キズキへ移行したとのこと。
○不登校新聞スタッフ間で、いつからか親を「客」と呼ぶようになっていた。
親は「客」じゃない。一緒に考えていく仲間。不都合な真実に向き合うのが親の会ではないか。
○不登校でも才能があって活躍しているとか、一部の成功例を引き合いに出して不登校を肯定しようという言説の問題は根深いものがある。常野雄次郎さんは、不登校新聞創刊のころから、そうした問題提起をしていた。しかし、それに対して、東京シューレの側から、ちゃんとした応答はなかったのではないか。
また、貴戸理恵さんの『不登校は終わらない』も、そこから議論すべきことは多かったように思うが、実りある議論にはならず、ここまで来てしまったように思う。そうした問題と、性暴力事件に向き合えないできたことは、つながっているように思う。
<「ひきこもり 基本法」について>
○「ひきこもり基本法」について、詳細は把握できていないが、教育機会確保法と構図が似ているのではないか。
誰が当事者のニーズを代弁しているのか。親か、本人か、支援者か。おそらくは親の声が大きいのではないか。あるいは、一部の団体が代弁機能を果たすことで、そこで切り捨てられている当事者の声も多くあるのではいか。
「ひきこもり」が、いまの福祉制度からこぼれがちな問題で、そこを何とかしたいという思いは理解できるが、ひきこもるという動的な状態像に対して、法律で定義をつくってしまうことには大きな懸念がある。かつて、青い芝の会は「われらは愛と正義を否定する」と言ったが、周囲の「善意」だけで法律をつくっては危ないと思う。
○不登校やひきこもりだけではなく、社会運動が、アイデンティティの承認に傾いている問題がある。格差を生み出す構造を変えずに、「不登校やひきこもりを認めます」 と言っても、そこには大きな欺瞞がある。「ひきこもり」を定義したり、線引きするのではなく、とにかく困っている人は助ける、というあり方にすべきではないか。
<低年齢の子どもの不登校による生活困窮について>
○保育園や小学校低学年の子どもの不登校の場合、親が仕事を辞めて生活保護になる例もある。何らかのサポートは絶対必要。
〇子どもを家に置いて働いていてネグレクトと言われ、仕事を 辞めざるを得なかったケースもある。
○特に母親が休めない職種や職場である場合、(障がいという)診断書を出してもらって放課後デイに預ける、という例もあった。放課後デイ は安く預けられるので増えている。
○フリースクールも10時からで、親が出勤したあと、シルバー人材センターに送迎を頼んだ例もある。
○朝7時から子どもを預かります 、という学校もできた。子どもが小さいうちは親の働き方もフレックス制にするとか、柔軟に考えるべきではないか。
○7時から学校に行かされる子どもも大変。もっと 社会全体が子どもを見る、という意識になるべきではないか。
何でも自己責任で、これでは 少子化になって当たり前。
○若い人たちは絶望している。 「生まれてから社会でいいことがあるのを見たことがない」という。
○看護休暇という制度があり、最大1年間休みが取れるということがあるが、これも事業所が認めていないと使えない。
<医療へつなげられる問題>
○精神的に疲れている教員の指導が、強迫的になり厳しくなる。子どもは緊張し、恐怖感を抱き、教室が怖い。
スクールカウンセラーや養護教員・担任などが精神科等医療を進めることが増えている。子どもの訴えを聞き学校を変えよう、ではなくて専門家頼みになり子どもの病理にされていく。
○子どもに安易に薬が使われている。養護施設などで夜用にリスパダールなどの薬を子どもに飲ませていると聞く。人手不足を薬が補っている。
○国連のレポートによると「発達障害は医療モデルではなく、 社会モデル」として捉え、学校教育環境の方を子どもの最善の利益に合わせることを勧告している。
<行政の経済的支援について>
○千葉県の「フリースクールなどに関するモデル事業」で年間100万円の助成金の募集があり、14団体のうち5団体が採択された。採択されたところは学校の教科学習をしていたり、進学・就職を最終目標とするようなところが多く、偏りがあると思った。
○東京都の「フリースクール等支援事業補助金」は人件費 3/4 (常勤 1人180万円、非常勤150万円まで)、施設・活動の安全性向上にかかる経費1/2助成(初年度のみ100万円まで)、子どもの体験活動にかかる経費1/2(5万円✕通所人数まで)等があり手厚い。
○民間の教育産業が 老舗の民間のフリースクールの名前を借りて看板を書き換えてやっていたりする。確保法の議論の懸念の通りになっている。
○チャンスフォーチルドレン のスタディクーポンという民間の助成金による塾代補助が、登録されたフリースクールにも利用できる。
例えば中学生なら1人月2万円
子どもが通うフリースクールに入る、本人はその分負担が減る(生活困窮世帯のみ)。
千葉市にも月1万円で同様のシステムがある。
<最近の不登校を取り巻く状況>
○内申書に出席日数を書かない学校が増えていると聞く。しかし不登校で不利なことには変わりない。
○不登校 特例校は大阪でも増えた。
○文科省の方針で、学校内フリースクールというのが最近、全国的に設置されてきている。
そこでは私服登校や遅刻早退もOK。最少限の時間割。でも 通常学級ではもちろん制服で、遅刻早退は許されない。
学校内で教育環境格差ができる。通常学級の子たちは納得できているのか?厳しい校則や成績評価などを我慢している子どもたちが、その不満を厚遇される不登校の子どもたちにぶつけ、差別やいじめを再生産するのではないか?
○N中、N 高はオンライン。中学校から囲い込んでVRやメタバースを使い、出席扱いにすれば不登校の数は格段に減っていくだろう。
○長崎壱岐の離島留学で、海で遺体が見つかり、自殺を疑われている。離島留学とは 国土交通省が管轄。地元教育委員会が面接し、里親家庭に預けるというもの。預けられる家庭によって人数、食事や居住スペースなどの待遇が全然違ってくる。「学校に行かなくていいよ」という里親から、学校に行かせようとする里親に教委が預け替えをしたという話を聞いたこともある。
○小学校の授業参観をしてみて凄く問題を感じた。道徳の授業での事。「朝起きて 明るかった。さあ どんな気持ち?」という質問に、ある子が「あー今日も学校かーと思った」と言った。すると 先生は「今はそういう状況じゃないでしょ!」と別の正解を押し付ける。道徳の授業は子どもを誘導するもの。先生たちも追われている。
手を挙げていない子どもを当てて言わせるとか、まだ考え中なのにみんな同じように言わせる。学校の在り方は益々問題。
○教職員組合の先生が少なくなった。多忙化で先生同士の学び合いがない。職員会議も討論や議決機能はなく上からの伝達のみ。1年以内に辞める人もいる。
〇登校拒否を考える親の会ネットワークでやってきた全国合宿が知らぬ間に全国大会になり、2011年には親の会と関係のない札幌の人たちが世話人合宿に突然現れ、北海道大会をやるということになった。あの頃から奥地氏は理事会にも諮らず、勝手に動くようになった気がする。ネットワークを抜けていく会もたくさん出た。